【学び】『自己客観視』の大切さはハンパない!立花B塾レベル2・2講感想

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『自己客観視』とは。自分の感情を、もうひとりの自分の目でキョリをおいて冷静にみること。

これができるようになると自分の感情にふりまわされて行動しないようになれるので、とってもラク。

例えば

のぞんでいなかった結果がでた時もそれをうけいれやすくなります。

解決のための行動をとりやすくなります。

だからのぞんでいたことがかないやすくなれます。

生きるのがラクになれます。

『自己客観視』できるようになるには

『自己客観視』できるようになるためには「感情」と「自分」をきりはなして見なければなりません。

わかりやすいように「感情」を心の中のマッチ棒のようなものと考えてみます。

なにかに反応してボッと感情の炎がともります。

自己客観視01

『自己客観視』ができていないと、ふつうは「感情」イコール「自分」と考えています。

ですから、なにかに反応してボッと感情の炎がともりますと

自己客観視02

「自分」まるごとに火がつきます。

炎がともると、感情だけでなくて自分の「言動」言うこと行うことにまで火がうつっていきます。

「イカリ」の炎がともれば、口からは人をののしる言葉がとびだしますし思わず暴力をふるってしまうこともあるでしょう。

自己客観視03

「イジケ」の炎がともれば、自虐の言葉ばかり口にしますし明らかにやった方がいいこともやる気がしなくなるでしょう。

感情のあまり反射的に望んでいなかったことをしてあとで後悔することになってしまったりします。

感情にふりまわされて、望んでいたことができなくなってしまったりします。

そんな毎日は生きづらくありませんでしょうか。

だからこそ

「感情」と「自分」をきりはなして見る『自己客観視』がとても大切になってきます。

感情がおこったときに

はなれてその感情を見ているのが「自分」です。

自己客観視04

「感情」と「自分」がきりはなされているこのポジション。

きりはなされているので、感情にふりまわされないですむんです。まったり。

おちついて出来事に向き合えるようになれるように、このポジションをとれるようになることはとても大切なことだとわかります。

感情をころしてしまうと

そんなに「感情」にふりまわされるのがよくないならば、いっそのこと「感情」なんてなければいいのでは?と思ってしまいます。

でも、これはとても危険なことだということです。

感情をおしころしてしまうとどうなるのでしょうか。

例えば「もう会社なんか行きたくない」「学校なんか行きたくない」と思うことありますよね。

その感情がうまれるたびにスグ消して「なかったこと」にしていきますと・・・

自己客観視05

ついた炎をスグに水をかけて消すので、不完全燃焼でケムリがいつまでもくすぶってしまいます。

何回も何回も同じことをしていきますと、どんどん不完全な燃えかすが増えていくことになります。

自己客観視06

気がつけば心の中はケムリが充満して呼吸もままならなくなっているのです。失感情。ウツのような状態に。

イカリもシットも悲しみも、みんなひっくるめて「感情」です。

あっていいものです。

炎のきらめきは生命の輝きです。

炎の熱は生きている実感です。

その光と暖かさを感じましょう!

自己客観視07

それが生きているってことではないの?

感情をころさないで。

それを、例えば他人にあたるとか自分に不利益な行動にはしるとかして外に出さないで

自分の心の中で見て感じる。それが『自己客観視』。

「感情をころさないできちんと感じる」と「人生をむちゃくちゃにしないで生きる」を両立できる方法です。

『自己客観視』の大切さってハンパないですね!!

以上

「立花Be・ブログブランディング塾レベル2第2講」にて

いちばん印象深かったお話。ならびにそこから考えた自分の感想になります。

ブログを書きつづけるために『自己客観視』がいかに大切であるかというお話。

ブログにかかわらずよりよく生きていくためにいかに大切であるかというお話でもあります。

このようにブログだけでなくいろいろな深い事柄にも気づかせていただける講座ですので

次はどんな新しい世界が待っているかな、と第3講も楽しみです。

感謝を込めて。ではでは。

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